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東京地方裁判所 昭和30年(ヨ)5838号 判決

債権者 株式会社マーナ・ベニール

債務者 マツクス・フアクター・アンド・カンパニー

主文

本件仮処分申請は、却下する。

訴訟費用は、債権者の負担とする。

事実

第一債権者の主張

(申立)

債権者訴訟代理人は、「債務者は、指定商品第三類、登録番号第二四六、六一四号商標権の権利範囲に属する別紙〈省略〉図面表示のような人面を型どつた商標と同一又は類似の商標を、その製造、販売にかかる各種の香料、化粧品等に使用してはならない。」との判決を求め、その理由として、次のとおり陳述した。

(理由)

一  富家礼恩は、昭和八年四月七日登録を出願した標章について、同年九月二十日登録により、指定商品第三類(香料化粧用白粉、化粧用クリーム、化粧下、髪膏、その他他類に属しない化粧品)登録番号第二四六、六一四号の商標権(以下本件商標権という。)を得たが、同人は、昭和三十年七月十五日、同人が監査役である債権者会社にこれを譲渡し、債権者会社は、現に、本件商標権の権利者である。

二  しかして、本件商標権の権利範囲は、別紙図面表示のような、人面を型どつた商標(以下本件登録商標という。)である。

三  債権者は本件商標権の譲受以来、その商品に本件登録商標を使用してきたところ、債務者は、その製造販売する化粧品等に、人面を型どつた商標を使用している。

四  右債務者の製品に使用されている商標は、本件登録商標と同一もしくは類似の商標であり、債務者は右商標の使用により、債権者の有する本件商標権を侵害するものであるが、債権者の禁止の要求にかかわらず、依然その使用を続けているばかりでなく、債権者の本件商標権は無効のものであるとか、または、取り消されるべきものであるとか、債務者は本件商標権について、いわゆる先使用権があるなどと称し、債権者の商標権者としての右禁止の要求を債務者の商標使用の妨害とひぼうし、ついに東京地方裁判所に対し、「債権者等は、債務者の人面を型どつた商標の使用を妨害してはならない。」との仮処分命令をまで申請するにいたり、右事件は、現に、昭和三十年(ヨ)第四、八一五号事件として係属審理中である。

五  よつて、債権者は、債務者に対し、本件商標権に基き、その侵害行為禁止請求等の本案訴訟を提起しようとするものであるが、債権者と債務者の商品は需要先が同一であるため、債権者は債務者の右権利侵害によつて、売上の減少その他により、現に、相当の損害を蒙りつつある実情であり、本案訴訟の判決確定を待つていては、回復し難い損害を蒙ることとなるので、これを避けるため、本件申請に及ぶものである。

なお、債務者は、「債権者会社は、富家礼恩から本件商標権を営業と共に譲りうけていないから、その譲渡は無効である。と主張するが、債権者会社は、昭和二十八年一月、富家礼恩及び同人の実子トミイ・ケネス・エム等によつて設立されたものであつて、実質は富家礼恩が従来その商号を、マーナ・ベニールと称して営んできた化粧品の製造販売事業を会社組織にあらためたものであり、その際従来使用してきた本件商標権も債権者に譲渡したものであるから、本件商標権の譲渡は、営業と共にされたものであることは明らかである。

また、債務者は、「債務者は、本件商標権について、いわゆる先使用権をもつものであり、右商標の使用は、この権利の行使にほかならないから、何ら本件商標権を侵害するものではない。」と主張するが、この主張は、著しく事実に反する。このことは、富家礼恩が債務者の製品の国内における販売を引きうけた経緯に徴しても明白である。その間の消息を詳述するに、元来、債務者の製品を日本に輸出して販売しようと企てたのは、債務者の極東における支配人であつてテイー・エム・ウエストが最初であり、同人は、日本における販売先を開拓するために、本件登録商標と同一の商標を使用した少量の製品を日本に持つてきて販売していたが、当時この商標の製品は、需要者、取引者間に全く、その名すら知られていない状況であつたため、その販売の方途がたたず、困惑の余り、昭和七年九月頃、駐日米国商務官を紹介して富家礼恩に、その販売方を懇願してきた。富家は、大正十一年以来諸外国との貿易を業とし、外国の化粧品も二、三取扱つていたが、債務者の製品を全く知らなかつたし、このような新しい外国化粧品を売り出すには、長年月の宣伝広告を必要とするために、採算のとれる見込が立たなかつたので、一応この申入を拒絶した。その後、ウエストの再三再四の懇請もたし難く結局、同人は、その販売方を承諾したが、その際、従来の貿易業務において他に輸入商品の商標と同一又は類似の標章を内容とする商標権もしくは意匠権の権利者がいたために、輸入商品の販売が不能となつたり、あるいは、輸入商品に多くの宣伝広告費をかけて販路を拡張した頃、輸出元から、契約を一方的に破棄して、第三者と契約を結ばれ、窮境におとしいれられた苦い経験があつたので、輸入商品は、その商標権を自身確保したのちでなければ、宣伝に投資したり販売すべきでないことを痛感していたから、礼恩名義で本件商標権の登録をうけることについて、ウエストの同意を得て、前記日時に登録を出願し、その登録をうけたのである。そして、同人は、その頃、最初の輸入品が手許に届いたので実際に市販を開始した。しかも、当時、債務者の製品のごく一部の種類のものにしか、本件登録商標と同一の商標が使用されていなかつたし、販売を開始した当初一年余は、その売上高は、せいぜい千円余に過ぎなかつたから、これらの事情からいつて、本件商標登録出願前、債務者の現に使用している商標が、要需者、取引者に広く認識されていたはずはあり得ないのである。

第二債務者の主張

(申立)

債務者訴訟代理人は、主文第一項同旨の判決を求め、その理由として、次のとおり陳述した。

(理由)

債権者の主張する事実のうち本件商標権の権利範囲が債権者主張のとおりであること、富家礼恩が、債権者の主張する各日時に本件商標権の登録を出願しその登録をうけ、これを債権者が譲りうけたこと、債務者が現に、人面を型どつた本件登録商標と同一の商標を使用していること、債務者が債権者から使用禁止の要求をうけたこと及び債務者が右禁止の要求は債務者の権利行使の妨害であるとして債権者の主張するような仮処分命令を申請し、右事件が現に、東京地方裁判所に係属審理中であることは認めるが、その余の事実はすべて争う。すなわち、

一  債権者は被保全権利を有しない。

(一) 債権者は本件商標権の権利者でない。すなわち、商標権の譲渡は、営業と共にされることを要するが、富家礼恩は、当時何らの業務をも営んでいないのであるから、同人より債権者に営業が譲渡されるはずはない。したがつて、債権者は、本件商標権のみの譲渡をうけたものであるから、右譲渡は無効である。

(二) 仮に右譲渡が有効であり、債権者が本件商標権の権利者であるとしても、債務者は本件商標権について、いわゆる先使用権を有する。すなわち、債務者は、本件商標権の登録出願の日である昭和八年四月七日以前から善意に、本件登録商標と同一の標章を、債務者の製造、販売にかかる香料化粧品等に使用していたものであり、右標章は、当時、需要者、取引者間に広く認識されていたものである。債務者は明治四十一年アメリカ合衆国ハリウツドにおいて、舞台用化粧品の製造、販売を始め、その後各種の香料、化粧品を製造、販売し、その主な商標として、昭和六年九月以降本件登録商標と同一の商標を使用してきた。(なお、右標章は、昭和七年十一月二十九日、アメリカ合衆国で商標権登録を出願し、昭和九年五月一日、登録された。)そして、右製品は、昭和七年十一月頃から日本に相当多量に輸出販売されてきたので、その標章は、当時、日本国内において、取引者、需要者間に広く認識されていた。しかして、昭和七年十月債務者は、同会社の代理店とし債権者に、日本における製品の販売方のすべてを取り扱わせたところ、翌八年四月七日に至り、債権者は、勝手に、債務者が使用していた商標と同一の商標を登録出願し、その登録を得たものである。したがつて、本件商標権の登録を出願した昭和八年四月七日以前から、債務者は、善意に、本件登録商標と同一の標章を、その製造、販売にかかる香料、化粧品等に使用してきたこととなり、いわゆる先使用権を有するから、債務者の右標章の使用は何ら債権者の商標権を侵害するものではない。

二  債権者の本件仮処分申請は、その必要性を欠いている。すなわち、仮に債権者に被保全権利があるとしても、債権者は本件登録商標を使用していないから、債務者がその製品に、これと同一の商標を使用しても、債権者の製品と出所の混同を生じるわけはなく、債務者の使用を禁止しなければ債権者に避けられない損害を生ずるなどということは全くないのである。かえつて、債務者は、年間約六億円に相当する前記商標を附した製品を製造、販売しているので、この使用を禁止されれば、一時販売停止のやむなきに至るべく、更に、二十数年間債務者の製品の商標として広く認識され、信用と名声をかち得てきた前記商標を使用できないとすると、債務者としては、現在の販売高を維持することも困難であり、債務者こそ回復できない損害を蒙るに至るものである。

〈疏明省略〉

理由

まず、本件における被保全権利の存否、すなわち、富家礼恩から債権者に対する本件商標権の譲渡が無効であるかどうか、それが無効でないとして、債務者が本件商標権について、いわゆる先使用権をもつているかどうか。

(争いのない事実)

富家礼恩が、債権者の主張する各日時に、本件商標権の登録を出願し、その登録をうけ、これを債権者に譲渡したこと、その権利範囲が別紙図面に表示するような人面を型どつた指定商品第三類に属する商標であること、債務者が現に本件登録商標と同一の商標をその商品に使用していること、債権者は昭和七年秋頃、債務者日本における総代理店としてその製品の販売を一手に引き受けたこと及び本件商標権の登録出願以前から、日本において本件登録商標と同一の商標を使用した債務者の製品が若干販売されていたことは、いずれも当事者間に争のないところである。

(債権者の本件商標権の譲受は無効かどうか)

債務者は、債権者の本件商標権は営業とともに譲り受けていないから無効であると主張するが、前掲争のない事実に、成立に争いのない甲第二十二号証の一及び四、第二十四号証の一、二第二十五号証の一、二並びに証人富家礼恩の証言を綜合して考えると、富家礼恩は、初め債務者の日本における総代理店として、専らその製品の輸入、販売を業としてきたが、支那事変勃発後は、外国製品の輸入制限のため、次第に製品の入手が困難となり、事業を継続していくことが不可能になつたので、昭和十四年頃から、商号をマーナ・ベニールと称して、みずから化粧品の製造、販売を始めたが、その後右営業を会社組織にして継続していくために、その実子トミイ・ケネス・エムとともに債権者会社を設立し、昭和三十年七月十五日その営業とともに本件商標権を譲渡したことが、一応、認められ、これを覆すに足る疏明はない。したがつて、債務者の前記主張は理由がなく、この点について他に何らの主張も疏明もない本件においては債権者は、現に本件商標権の権利者であるということができる。

(債権者は本件商標権についていわゆる先使用権をもつているかどうか)

商標法第九条の規定によるいわゆる先使用権は、いうまでもなく本来の商標権と併存して、その権利範囲に属する商標と同一の標章を使用できる権利であるから、先使用権を主張できる標準は、需要者又は取引者間に広く認識された標章であること、すなわち一般に、その商品の出所を積極的に表示する程度に知られていることを必要とし、特定の少数の人々に知られている程度では、同条にいう広く認識された標章ということはできないが、他面、その知られている程度は、その当時の取引の事情等によつて各標章について具体的に判断するのを相当とし、商標、したがつてそれが使用される商品の種類、性質によつては、必ずしも国内一般の多数の人々によつて認識されていることを必要としないものと解するを相当とするところ、富家礼恩が本件商標権の登録出願をなす以前から、債務者の極東支配人テイ・エム・ウエストが債務者の製品を日本にもつてきて販売していたことは債権者の認めるところであり、更に、成立に争いのない乙第二十一号証の一から五、同第二十二号証の一、二及び同号証により真成に成立したものと認められる乙第十二号証の一から百七、成立に争いのない甲第二十三号証の一から四、同第二十四号証の一、二及び前記甲第二十五号証の一、二並びに証人富家礼恩の証言を綜合すると、当時、右ウエストは、アメリカの雑貨を極東各地で販売していたが、昭和三年頃から、日本においても、債務者の製品を、量は必ずしも多くはなかつたが、諸所で注文をとつて相当量販売してきたこと、その製品には従来債務者がその商標としてその製品(化粧品)に使用してきた本件登録商標と同一の商標が使用されていたこと、当初は、外国化粧品に対する一般の需要も認識も低く、しかも、甚だしく高価であつた事情も加わり、債務者の製品を使用する人、したがつて、その取引をする者も必ずしも多くはなかつたが、昭和七年秋頃、富家礼恩が債務者の日本における総代理店になつてからは、同人が、前記ウエスト等と協力して、製品の宣伝、広告に力を注いだ結果次第に取引者及び需要者間に知られるようになり、その売上高は漸増したことを推認し得べく、証人富家礼恩の証言中右とてい触する部分は措信し難く、他にこれを覆すような明確な疏明はない。しかして、右事実によれば、債務者は、債権者の本件商標の登録出願当時同一商品について取引者又は需要者の間に広く認識されている同一の標章を使用していたものと認めるのが相当であり、その需要者又は取引者が数において必ずしも多くなかつたことは、当時の右商品の取引事情から、むしろ当然のことというべく、このことは叙上の結論に対する妨げとなり得べきものではないことは、前に説示したところにより明らかであろう。しかして、その形式及び趣旨に徴し真正に成立したものと認められる乙第五号証によれば、債務者は、その使用している商標について、本件商標出願日の前である昭和七年十一月二十九日に、米国において商標登録の出願をしていること並びに前記乙第二十二号証の一、二及び同号証により真正に成立したものと認められる乙第十八、第十九号証によれば、債務者は日本においても前記商標の登録出願をしようとしていたことが認められ、これらの事実と、前記甲第二十五号証の一、二及び証人富家礼恩の証言によつて認められる、債権者は当時貿易商で化粧品の製造、販売等は営んでいなかつたが、債権者の総代理店としての地位を維持する等のために本件商標権の登録をうけた事実を合せ考えると、他に特段の事情の疏明されない限り、債務者は善意に前記標章を使用していたものということができる。はたして、しからば、債務者は、本件登録商標について商標法第九条の規定に基き、いわゆる先使用権をもつているものと認め得べく、債務者は依然右標章の使用を継続し得るのであるから、現にこれを使用することにより本件商標権を侵害するものということはできない。したがつて、債権者の本件仮処分申請は結局被保全権利の存在について疏明がないこととなるのであるが、もとより保証をもつてこれに代えることも適当とは認められないので、この点において、すでに理由のないものといわざるを得ない。よつて、本件仮処分申請は、却下することとし、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八十九条、第九十五条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 三宅正雄 栗山忍 宮田静江)

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